茶道用語

目跡(めあと)
窯の中で器を重ねて焼く時に器同士の熔着を防ぐために、団子状にした粘土(胎土目)や砂(砂目)、ほかに貝殻(貝目)や陶石・砂岩(陶石目)、団子状の粘土塊の下に砂を敷いたもの(砂胎土目)などを目として置くが、その跡が器に付いたもの。一番上にのせて焼いたものには目跡はない。下級品を焼くときに使用されるものだが、茶人が見所とした。茶碗の見込みにある場合、景色のひとつとなる。また、皿などが焼成時にへたるのを防ぐために置かれた円錐状のハリと呼ぶ目を窯出し後叩き落としたハリ目跡(はりめあと)、トチン、ハマと称される一品ずつを載せる焼台に熔着しないよう砂を敷き器物を置いて焼成した目跡などがある。

名物裂(めいぶつぎれ)
主として室町の足利義満・義政時代以降に中国から舶来した、宋・元・明時代の中国で織られた、金襴(きんらん)、緞子(どんす)、間道(かんとう)を主に、(にしき)、風通(ふうつう)、繻珍(しちん)、天鵞絨(びろうど)、印金(いんきん)、莫臥爾(もうる)、更紗(さらさ)などの裂地で、名物といわれる茶器の仕服、掛物の表装などに使われたもの。
「名物」の語の初出は、文禄4年 (1595)7月15日の奥書のある別所吉兵衛の『名器録』の 中に「銘物地也(矢扁+也)」とあり、漢東19種、古金襴32種、緞子11種の名称と略説並びに時代を書いている。
元禄7年(1694)刊の『万宝全書』には、後に名物裂と呼ばれるようになった裂類を「時代裂」 と称している。この時代裂を名物裂として明確に規定したのは、寛政3年(1791)に上梓された松平不昧の『古今名物類聚』名物裂の部二冊で、緞子金襴間道及び雑載に分けて、緞子29種38裂、金襴49種79裂、間道14種23裂、雑載14種26裂の106種166裂の名物裂を彩色によって図示している。古今名物類聚収載裂。さらに文化元年(1804)刊の『和漢錦繍一覧』には、緞子143種、金襴145種、間道35種など342種を収録している。和漢錦繍一覧収載裂
江戸時代の中期になると、茶道各流派独自の名物裂が選定されるところとなり、その結果、その総数は、400種類を超えるほどにもなるという。名物裂は、その由来により様々な名が付けられ、所蔵していた神社仏閣の名称、僧侶・大名・茶人などの人物名、裂地の文様、茶器などの名物品、生産地または所在地、能装束として使われる演目に関するものなどがある。また到来時期から、室町初期(足利義満の頃)の「極古渡り」、室町中期(足利義政の頃)の「古渡り」、室町中期〜末期の「中渡り」、室町末期〜桃山の「後渡り」、江戸初期の「近渡り」、江戸中期の「新渡り」、江戸中期以降の「今渡り」などと分けることもある。

目弾(めはじき)
目弾塗(めはじきぬり)。漆塗の技法の一。欅、栓、栗などのように木目に気孔(導管の凹んだ部分)が多い木質の材に砥粉等で処理せず目を潰さずに漆を塗り、木目を出すもの。木材の導管内部に漆が入り込み木目に沿って漆をはじいたように見えるためこの名がある。「目撥き」とも書く。

面桶椀(めんつうわん)
懐石家具の塗椀の一。被せ蓋で、桶形、底は高台付。身に帯紐が廻り、蓋には紐なし。元禄4年(1691)刊『茶道要録』に「利休形諸道具之代付」として「面桶椀但シ三人前 三十五銭目。替汁椀但シ一組 四銭目。大壺皿蓋共 十銭目五分。小壺同 同前。平皿同 同前。」とあり、弘化4年(1847)刊『茶道筌蹄』に「面桶椀 利休形、何れもうるみ、外蓋菜盛りばかり、坪平は丸椀を仮用ゆ」、嘉永4年(1851)刊『茶式湖月抄』に「花塗、うるみ、身蓋とも六つ有、ふたには紋なし、内の形は外に応じ」とあり、飯椀と汁椀と菜入のみが載る。宗旦好みに、潤塗面桶椀で、飯椀、汁椀、菜盛椀の三椀組がある。

面中次(めんなかつぎ)
薄茶器の一。中次の蓋の肩を面取りしたもの。『茶道筌蹄』に「面中次 黒は利休、タメは元伯、何れも中ばかりなり、タメ中次に元伯書にて詩を書たるを詩中次と云ふ、原叟写しあり、如心斎又数五十を製す」とあり、真塗利休好み、溜塗宗旦好みという。

  
 
 
 
 

inserted by FC2 system