茶道用語

莫臥爾(もうる)
糸に金や銀を巻きつけた撚糸(モール糸)を織り込んで文様を出した織物。モール。経は絹糸で、緯に金糸を用いたものを金モール、銀糸を用いたものを銀モールといい、のち金糸または銀糸だけを寄り合わせたものをいう。莫臥児、莫臥爾、回々織、毛宇留、毛織などの字が当てられる。正徳2年(1712)頃に成った寺島良安の『和漢三才図会』に「按莫臥爾天竺国名、所出之綺、似緞閃而有小異、本朝所織者亦不劣」とあり、インドのモゴル(ムガール)帝国(1526〜1857)の所産で、緞子に似ているが少し異なるとしている。わが国には戦国時代から桃山時代にかけて、南蛮貿易によって舶載された。モールの語はポルトガル語の「mogol」からという。

毛織(もうる)
モール。合金の表面に鎚や鏨で文様を叩き出したり、彫り出したもの。織物表面に浮織のあるモールと表面文様が似ているところからの呼び名という。水指建水などにある。チベットでは、袋形で口縁の下にくびれがあり、胴に連弁の彫文、口に 唐花、唐草の打出し文様が施された形の容器のことをモールと呼んでいるという。

茂三(もさん)
対馬藩藩士。江戸寛文年間の人。姓は中庭。寿閑と号す。寛永16年(1639)朝鮮釜山の和館内に築かれた対馬藩宗家の御用窯「和館茶碗窯」に燔師(はんし)としておもむき、朝鮮陶工を指導して御本茶碗を焼いた。いわゆる「茂三茶碗」は、腰に切り廻しのある井戸形で、口辺は端反らず、高台は低めで小さな竹節状をしている。特徴は見込みの細めの刷毛(鶴刷毛)と高台内の渦で、その中央に小さな兜巾を見せている。釉色は黄味・赤味・青味を交えた枇杷色で、鹿の子の窯変もほどよくみられる。総じて薄作りで、土は細かく、堅く焼き締まっている。

牧谿(もっけい)
中国、宋末から元初の画僧。生没年未詳。蜀(四川省)の人。法名は法常。牧谿は号。西湖畔六通(りくつう)寺の開山と伝える。元代の呉大素の『松齋梅譜』に「僧法常、蜀人、號牧溪、喜畫龍虎、猿鶴、禽鳥、山水、樹石、人物、不曾設色。多用蔗査艸結、又皆隨筆點墨而成、意思簡當、不費粧綴、松竹梅蘭、不具形似、荷鷺蘆雁、倶有高致。一日造語傷賈似道、廣捕而避罪於越丘氏家、所作甚多、惟三友帳為之?品、後世變事釋、圓寂於至元間。」(僧法常、蜀人、號は牧溪、このんで龍虎・猿鶴・禽鳥・山水・樹石・人物を画く。曾て設色せず、多く蔗査(しょさ;甘蔗の搾り滓)・艸結(てつけつ;藁筆)を用い、また皆筆に随い墨を点じて成る。意思は簡当、粧綴を費やさず、松竹・梅蘭は形似を具えず、荷鷺は写して倶に高致あり。一日、造語して賈似道(1213〜1275)を傷つけ、広捕せられて罪を越(浙江省紹興)の丘氏家に避く。作る所は甚だ多けれども、惟だ三友帳は之を絶品となす。後 世変じ事釈け、至元(1264〜1294)間に円寂す。)とある。同時代から毀誉褒貶が甚だしく、粗悪にして古法なく、まことに雅玩に非らず、として中国では重視されなかったが、日本では鎌倉末期以来珍重され、室町期の水墨画に多大な影響を与えた。代表作「観音猿鶴図」。

木瓜形(もっこうがた)
器物の形の一つ。紋所の木瓜のように楕円の四隅が内側に窪んでいる形。阿古陀(あこだ)形、四方入隅(角)形ともいう。木瓜(もっこう、もかう)は、文様としては古く唐時代に用いられわが国へ伝来した。木瓜と記すため胡瓜の切口を図案化したものというが、巣(本字は上穴下果)紋(かもん)ともいわれ、本来は地上の鳥の巣を表現したものとされ、神社の御簾の帽額(もこう)に多く使われた文様であったので、もっこうと呼ばれるようになったと云う。鳥の巣は子孫繁栄を意味し、神社で用いる御簾は吉祥であるということから、めでたい紋とされ、家紋として多く用いられた。

桃尻(ももじり)
古銅花入の一。細口で耳がなく下部が桃の形のように膨らみ高台がなく、上下五段に区切られた文様帯があり、文様帯の中に饕餮文の退化した文様がある花入をいうように思われる。中国明代の製で室町末期に将来したものという。桃底とするものもある。『天王寺屋会記』永禄10年(1567)12月29日朝会に「無もんのもヽしり、梅入テ、四方盆ニすへ」、『天王寺屋会記』永禄11年(1568)4月26日昼会に「住吉屋之もヽしり見申候」「もヽしり拝見申候、色あか色也、もん(文)てきわ(手際)あしきやうに見へ申候、口かたうすあり、むすひれう(結び龍)六ツ半也」、『烏鼠集』に「桃尻にハ耳なし、かう台つきなし、桃の尻のことし、凡ハそろりのなり・ふくらちかふ也、長同意、少ハひさし、六寸三四分、上下に紋なき処少有、肩に猿紋、次に雉の尾、次にすちかひして、間に小紋、横に筋して結龍、又よこ筋してをり入ひし、次無紋にあけそこの桃尻也」、『山上宗二記』に「一 桃尻 関白様 本は紹鴎所持也。但し、古銅花入、天下一名物。五通の文を指す。四方盆にすわる。一 桃尻 文を五通さす。四方盆にすわる。本は引拙。平野に在り。一 桃尻 是も名物。文を五通さす。四方盆にすわる。京医師道三に在り。右三つ、花入也。但し、此の外によしあし八つ在り。去れども、それは数寄に入らず。口伝あり。」、『和漢茶誌』に「桃尻 鋳五様紋胡銅漢器也」(桃尻 五様の紋を鋳る、胡銅の漢器なり)とあり、上下五段に区切られた文様帯があり、文様帯の中に饕餮文の退化した文様があり、これを結び龍と称したと思われる。『山上宗二記』の表千家本は、「一 もヽそこ 関白様に在 むかし珠光所持、天下一の名物也、但ことうの花入、五とをりの文をさし候。四方盆に居る。一 もヽそこ 昔引拙所持、是も文を五通りさし候、四方盆に居る、平野に在。一 もヽしり 是も同名物也、文を五とをり指候、四方盆に居る、京医師道三在。右天下三つ之花入也、但此外もヽしり好悪取交七つ八つ在、それは数寄に不入。口伝在之。」とあり、前二者を「もヽそこ」とするが、説明文は同様でその区別が判然としない。天王寺屋会記に無文の桃尻とあるが桃底との混同があるか。

桃底 (ももぞこ)
古銅花入の一。細口で耳がなく高台がなく畳付が丸く内側に窪んだ無紋の花入をいうように思われる。室町末期に中国から将来したものという。桃尻とするものもある。『天王寺屋会記』永禄11年(1568)4月25日朝せいとん会に「床 もヽしり、四方盆ニ、菊生テ、此花入少かた也」「もヽそこ拝見申候、金かね黒色也、もん一段うつくしくほり申候、むすれう(結龍)七ツ有」と、桃底に結龍の文が七つあると云うが、同じものを桃尻とも云っており混同が見られ、桃尻のことではないか。『茶道筌蹄』に「一、ゾロリ 細口輪香台。一、桃底 細口輪香台なし。」とあり、、高台のあるものが曾呂利で、高台のないものが桃底という。尾張徳川家伝来の、内箱書「桃そこ」外箱書「唐物砂張ももそこ」とある銘「鶴一声」花入は、無文で、細長い頸に撫肩で曾呂利のようだが、底部が桃のように丸く凹んでいる。

  
  
  
  
  
 

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