茶席の禅語

                           

中有風露香(なかに ふうろの かおり あり)
蘇軾の詩「王伯〓(易夂)所藏趙昌花四首」(王伯ヤク蔵する所の趙昌の花・四首)の「黄葵」に「弱質困夏永。奇姿蘇曉涼。低昂?金杯。照耀初日光。檀心自成暈。翠葉森有芒。古來寫生人。妙?誰似昌。晨粧與午醉。真態含陰陽。君看此花枝。中有風露香。」(弱質夏の永きに困しみ、奇姿暁涼に蘇える。低昂す黄金の杯、照輝す初日の光。檀心自ら暈を成し、翠葉森として芒あり。古来写生の人、妙絶誰か昌に似ん。晨粧と午醉と、真態陰陽を含む。君看よ此の花枝、中に風露の香あり。)とある。

日日是好日(にちにち これ こうにち)
碧巌録』第六則「雲門日日好日」に「擧。雲門埀語云。十五日已前不問汝。十五日已後道將一句來。自代云。日日是好日。」(擧す。雲門垂語して云く、十五日已前は汝に問わず、十五日已後、一句を道い將ち来れ。自ら代って云く、日日是れ好日。)とあり、『雲門廣録』には「示衆云、十五日已前不問爾、十五日已後道將一句來。代云、日日是好日。」とある。「十五日」は、その日が15日の上堂の日とし「今日」のことと解し、雲門が弟子たちに、今日以前のことは問わない。今日以後どうするか一句にして持って来いと云ったが、誰も答えないので、弟子に代って「日日是好日」と云った。『禅林句集』五言対句に「日日是好日、風來樹點頭。」(日々是れ好日、風来たって樹点頭す。)とあり、『禪林類聚』の「雲門偃禪師示衆云。十五日已前不問汝。十五日已後道將一句來。自代云。日日是好日。天童覺云。屬虎人本命。屬猴人相衝。雪竇顯頌云。去卻一。拈得七。上下四維無等匹。徐行踏斷流水聲。縱觀寫出飛禽跡。草茸茸。煙羃羃。空生巖畔花狼籍。彈指堪悲舜若多。莫動著。動著三十棒。海印信云。日日是好日。風來樹點頭。九江煙靄裏。月上謝家樓。大洪恩云。日日是好日。誰言無等匹。甜瓜徹蔕甜。未必甜如蜜。」から海印信の頌を引く。字義的には、毎日が好い日であるという意だが、白隠禅師は「難透難解」、東嶺禅師も「雲宗門の大事」と云う。

人天眼目(にんでんがんもく)
宋の晦巌智昭の編した五家の宗旨の綱要書。全六巻。淳熙十五年(1188)に成る。臨済、雲門、曹洞、イ仰、法眼の順に、宗派ごとに分類し、はじめに各派の宗祖の略伝を掲げ、その派の祖師の語句、偈頌等の重要なものをまとめ、最後に「宗門雜録」として、禅宗史伝の考証、その他の補遺事項を集め、巻尾に慧昭可光の跋を付している。道元は『正法眼蔵』において「後來智聰といふ小兒子ありて、祖師の一道兩道をひろひあつめて、五家の宗派といひ、人天眼目となづく。人これをわきまへず、初心晩學のやから、まこととおもひて、衣領にかくしもてるもあり。人天眼目にあらず、人天の眼目をくらますなり。いかでか瞎却正法眼藏の功徳あらん。」という。

拈華微笑(ねんげみしょう)
無門関』の「世尊拈花」に「世尊昔在靈山會上、拈花示衆。是時衆皆黙然、惟迦葉尊者破顔微笑。世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、教外別傳、付囑摩訶迦葉。」(世尊、昔、霊山会上に在って花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。ただ迦葉尊者のみ破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す。)とあり、釈迦が霊鷲山(りようじゆせん)で説法した際、花を拈(ひね)り大衆に示したところ、だれにもその意味がわからなかったが、ただ摩訶迦葉(まかかしよう)だけが真意を知って微笑した。釈迦は自分には正しく無上の法門、仏と宇宙の根本原理、法の真実の姿、非常に深く不可思議な法門がある。それは言葉ではいい表せない以心伝心のものだが、摩訶迦葉に全て授けるといったという。禅宗で以心伝心で法を体得する妙を示すときの語で、禅宗における師資相承(ししそうじょう)の始まりとされる。『人天眼目』の「宗門雜録」に「王荊公問佛慧泉禪師云。禪家所謂世尊拈花。出在何典。泉云。藏經亦不載。公曰。余頃在翰苑。偶見大梵天王問佛決疑經三卷。因閲之。經文所載甚詳。」とあり、『大梵天王問佛決疑經(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)』を出典とし「爾時如來。坐此寶座。受此蓮華。無説無言。但拈蓮華。入大會中。八萬四千人天時大衆。皆止默然。於時長老摩訶迦葉。見佛拈華示衆佛事。即今廓然。破顏微笑。佛即告言是也。我有正法眼藏涅槃妙心。實相無相微妙法門。不立文字。教外別傳。總持任持。凡夫成佛。第一義諦。今方付屬摩訶迦葉。」とみえる。ただ、建長7年(1255)日蓮の『蓮盛抄』に「禅宗云く、涅槃の時世尊座に登り、拈華して衆に示す。迦葉破顔微笑せり。仏の言く、吾に正法眼蔵涅槃の妙心、実相無相微妙の法門有り。文字を立てず教外に別伝し、摩訶迦葉に付属するのみと。問うて云く、何なる経文ぞや。禅宗答えて云く、大梵天王問仏決疑経の文なり。問うて云く、件の経何れの三蔵の訳ぞや。貞元開元の録の中に曾つて此の経無し、如何。禅宗答えて云く、此の経は秘経なり。故に文計り天竺より之を渡す云云。問うて云く、何れの聖人、何れの人師の代に渡りしぞや。跡形無きなり。此の文は上古の録に載せず、中頃より之を載す。此の事禅宗の根源なり。尤も古録に載すべし知んぬ。偽文なり。」とあり、貞元16年(800)円照が編纂した『貞元釈教録』、開元18年(730)智昇が編纂した『開元釈教録』の仏教経典の二大目録に見られないところから偽経とする。

 
 
 
 
 
 
 
  
  
  
  
  
 

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