茶の湯の裂地

                           

青木間道(あおき かんとう)
名物裂の一。紺・茶・白・黄で太細縞を組み合わせた堅縞の間道で、緯糸はこげ茶を用い、全体に黒茶味を帯びたもの。大名物「志野丸壷」の仕服に用いられる。類裂は多く、青木・高木・伊藤・弥兵衛間道は曖昧で確定しがたい。青木間道の名は、豊臣秀吉の家臣、青木一矩(?〜1600)の所持とも、同じく青木重直(1527〜1613)の所持に因るとも伝えられる。類裂が数種あり、小松間道、弥兵衛などの名がある。『古今名物類聚』所載。

朝倉間道(あさくらかんとう)
名物裂の一。赤茶地に藍、白交互の横縞と白の竪縞が格子に織り出された部分、白地に赤茶の横縞の部分、赤茶地に白の横縞の部分などからなる間道。越前の戦国大名朝倉義景(1533〜1573)所持の大名物「朝倉文琳」(本能寺または三日月文琳ともいう)の仕服を本歌とするところからの名で、遠州が好んでこの茶入に添えたという。大名物「平野文琳」の仕服に用いられる。

荒磯金襴(あらいそきんらん)
名物裂の一。濃い縹地に、金糸で波間に躍る鯉を織り出した金襴荒磯緞子に比べ、いくぶん荒々しく写実的になっている。『古今名物類聚金襴の部に「荒磯 繻子」とある。

荒磯緞子(あらいそ どんす)
名物裂の一。萌黄地に金茶で波間に躍る鯉を織り出した緞子。萌黄地波鯉文様。地を三枚綾、文を変化六枚繻子の変わり組織にしており厳密には緞子とはいえないが、古来緞子の扱いを受けている。荒磯とは、岩の多い荒波の打ち寄せる海辺を意味するが、波に踊る鯉の姿を荒磯と見立てたものか。中興名物「大津」「春慶文琳」「高取腰蓑」の仕服に用いられている。『古今名物類聚』所載。

有栖川錦(ありすがわにしき)
名物裂の一。一般的に、平織の地に太い色緯を綾取風に織り込んだもので、幾何文様の中に直線形で鹿文様・馬文様・雲龍文様などを織り出したもの。有栖川宮家の所持に因む名というが詳らかでない。鹿文様は幾何学紋様の枠内に、薄赤茶・白・緑などで地と鹿を織り出したもの。馬文様は長方形の角を落とした八角形の枠内に、薄赤や萌黄地に馬を色変りに織り出したもの。雲龍文様は萌黄地に緑や黄で翼をもつ龍を織り出したもの。『古今名物類聚』所載。

安楽庵金襴(あんらくあん きんらん)
名物裂の一。類裂が多く、宝尽し紋のものが多い。安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)の所持の袈裟の金襴裂からの名。請願寺裂ともいう。安楽庵策伝(1554〜1642)は、安土桃山・江戸前期の僧・茶人。美濃生。名は日快、号は醒翁、俗名を平林平太夫。京都誓願寺55世住持となり紫衣を勅許される。茶道を古田織部に学び、晩年は誓願寺の境内に安楽庵を結んで風流の道を楽しんだ。近衛信尋・小堀遠州・松永貞徳らと交わる。自作及び蒐集した笑話を集め『醒睡笑』を著し、板倉重宗に献呈し、落語の祖とされる。『古今名物類聚』には、安楽庵として紺金地木瓜雨龍紋、柿色金地一重蔓大牡丹、浅黄色金地木瓜折枝紋、浅黄金地雲龍紋、萌黄地瓦燈竜紋などを載せる。

石畳金襴(いしだたみきんらん)
名物裂の一。全面を石畳紋(市松模様)でおおった金襴手の総称。三枚綾の萌黄地に金糸で石畳を織り出し、その中に宝尽し紋を表したものが、最も古い例として知られ、明代初期の中国製とされる。金の石畳に鳥紋をおいた鳥石畳、地の枡形に珠点をおいた星石畳、金の石畳に枡形に入った卍字形を表したものなどがある。なお大徳寺創建の際の帷に、萌黄地に石畳文を表し、宝尽しと卍字と球点を織り出した「宝入石畳文様金襴」を用いたところから、「大徳寺金襴」とも称される。中興名物の「思河」、「小川」、「増鏡」などの仕覆に用いられている。

苺錦(いちごにしき)
名物裂の一。茶色の厚手の木綿地に白、藍、緑、黄などの絹糸で長円形の十二弁の花文様を織り出し、織留の部分には同色の絹糸で装飾的段文様を織出している。この花紋を苺に見立てての名で、覆盆子、猪智子とも書く。数種あるが、前田家伝来の通称「菊いちご」が著名。16世紀から17世紀にかけてペルシアで製作されたとも、中国製であるともいわれる。

井筒屋金襴(いづつや きんらん)
名物裂の一。薄萌黄の経五枚繻子地に、金糸で大小の鱗紋を織り出し、文様以外の繻子地の部分も三角形に残した金襴。井筒屋十右衛門の所持に因む名という。大名物「山の井肩衝茶入」、中興名物「潮路庵茶入」「翁茶入」の仕服に用いられる。類裂で、白地のものを「針屋金襴」、萌黄または花色地に銀糸のものを「権太夫銀襴」という。

伊藤間道(いとう かんとう)
名物裂の一。縹地に、浅黄・白・茶・紺などの細堅縞に、ところどころ白の横縞や真田風の浮織を入れた間道。また、茶地に白や花色の大小縞のものもある。博多の伊藤小左衛門が明より持ち帰ったことによりこの名があるという。高木間道舟越間道・伊藤間道は類裂で、しばしば名称が混同していて確定しがたいという。『古今名物類聚』所載。

糸巻金襴(いとまききんらん)
名物裂の一。『古今名物類聚』所載。

糸屋風通(いとやふうつう)
名物裂の一。白地に縹色の網代地紋に転輪聖王を象徴する金輪宝を織り出した風通。利休門人の糸屋宗有の所持に因んだ名という。中興名物「増鏡茶入」や「凡茶入」等の仕服に用いられる。『古今名物類聚』に「輪宝ともいふ」とあり、糸屋輪宝とも呼ばれる。

稲子金襴(いなご きんらん)
名物裂の一。浅葱色の五枚繻子地に、金糸で同じ大きさの小さな三角形を積み重ねた鱗紋を織り出した金襴。類裂に「井筒屋金襴」「針屋金襴」「権太夫銀襴」などがある。

茨木金襴(いばらぎきんらん)
名物裂の一。白地に、金糸で三重襷の菱の内に菊花を織り出した金襴。名称の由来は不詳。

伊予簾緞子(いよすだれどんす)
名物裂の一。白・浅黄・薄茶・薄水色・花色などの堅縞に、黄の緯で細かい小石畳の地紋と宝尽し紋を織り出した緞子。中興名物「伊予簾」の仕服に用いられたところからの名。『古今名物類聚』には「小石畳緞子」として載る。

印金(いんきん)
名物裂の一。文様を型紙に彫り抜き、生地の上に当て、漆または膠などの接着剤で刷り、乾かないうちに金箔を押し当て、軽く圧し、乾いた後に不用の箔を掃き落とし文様をあらわしたもの。生地に文様が金で現される。多くは書画の表装裂に使用される。『古今名物類聚』雑載の部。

雲珠緞子(うずどんす)
名物裂の一。柄地に白茶より黄色みがかった藍までの緯糸で雲状の渦を織り出す。雲頭緞子。『古今名物類聚』所載。

有楽緞子(うらくどんす)
名物裂の一。縹色経五枚繻子地に淡藍の緯糸で網目文様と雲鶴文とを織り出したもの。織田有楽斎が所持したと伝える。大名物「珠光文琳」の仕服に用いられている。『古今名物類聚』所載。

雲鶴金襴(うんかくきんらん)
名物裂の一。丹地に舞い降りる鶴と舞い上がる鶴、霊雲と宝尽し紋を織り出した金襴

雲鶴緞子(うんかくどんす)
名物裂の一。薄茶地に白の緯糸で細く織り出された雲の間に鶴が飛んでいる文様を織り出した緞子。地色の濃い縹色のものは大名物「日野肩衝」の仕服として用いられ、明代中期のもので織部好みと伝えられる。薄白茶地のものは大名物「打曇大海茶入」の仕服として用いられ明代末のものとされる。『古今名物類聚』所載。

雲山金襴(うんざんきんらん)
名物裂の一。紫地に、金糸で七曜文を散らし、丸竜紋を織り出した金襴逢坂金襴の色変り。『茶器便覧』に「雲山は切なり、紫地へ共色にて模様織出す。この切を懸しより名とす」、『名器便覧』に「袋紫地古金襴上柳の紋かはり」とあり、大名物「雲山肩衝」の仕服に用いられ、この裂の名から茶入の名がついたというが、本歌の裂は天明4年(1784)松山城で雷火のため焼失した。大名物「残月肩衝」に使用されているものは、紫地が褪色し茶味を帯びている。類裂に上柳金襴がある。

永観堂金襴(えいかんどうきんらん)
名物裂の一。白の経三枚綾地に雷紋菱をなし、金糸で角龍紋を織り出した金襴。京都禅林寺永観堂の九条袈裟に用いられたことに因む名という。類裂に、緋地の「桑山金襴」、紫地の「春藤金襴」などがある。

蝦夷錦(えぞにしき)
名物裂の一。納戸・緋・緑・縹などの五枚繻子地に、赤・黄・紫・金糸や銀糸を交えた絵緯糸で雲龍波濤紋や蓬莱・唐獅子・花紋などを織り出したもの。明末清初の中国製だが、これが蝦夷地に渡り、そこから将来されたため蝦夷地産の錦と思われたもの。

江戸和久田金襴(えどわくた きんらん)
名物裂の一。大別して二種あり、縹、白、浅黄、茶色の堅縞に、白に浅黄と茶、白に茶と黄の細横縞を挟み、横縞のない部分に木瓜形の折枝鳥獣紋を金糸で織り出したものと、繻子地で、縹、白、浅黄、茶、褐色、薄萌黄などの堅縞に、金糸で丸紋、花獣を織り出したものがある。江戸の職工和久田某が愛用とも和久田家伝来ともいう。『古今名物類聚』所載。

鴛鴦金襴(えんおう きんらん)
名物裂の一。萌黄地に入子菱紋を地緯で織り、金糸で鴛鴦(おしどり)を段替りに向きを逆にして織り出した金襴。本圀寺の日朗聖人へ授与され日蓮大聖人の真筆の曼荼羅の表装に用いられているところから「本圀寺金襴」ともいう。類裂に、雷紋の地紋に羽を広げた鴛鴦が向かい合って互の目に並んだもの。標地に蓮華の間に遊ぶ鴛鴦、鷺、鯉などをそれぞれ段替りに織り出したものなどがある。

遠州緞子(えんしゅう どんす)
別名「花七宝入り石畳文様緞子」。小堀遠州が所持したと伝える。市松模様の各々の枡の中に七宝と二種の花柄を互の目に配し、地を五枚繻子とし、文を緯五枚綾としているのと、逆に地を緯綾とし、文を繻子組織としたものとを上下左右交互になるように配置している。更に、緯に白茶と浅葱(あさぎ)の二色を用い、白茶二段、浅葱一段の繰り返しとして色調に変化をつけている。『古今名物類聚』所載。

逢坂金襴(おうさか きんらん)
名物裂の一。縹地に、文様は金糸で七曜文を散らし、丸竜紋霊芝雲文を交互に配した金襴。中興名物「相坂丸壺」の仕服として用いられていることからの名称といわれ、「相坂金襴」とも書く。『名物記』相坂丸壺に「花色梅鉢小紋に龍の丸金らん(裏もえぎかいき、緒紫)」とある。『大正名器鑑』に「相坂金襴の袋は横切を用ふ其他此例にならひ相坂に限り横切を用ふ。」とある。類裂に「上柳金襴」や「雲山金襴」がある。『古今名物類聚』所載。

黄緞(おうどん)
名物裂の一。経糸に絹糸を用い、緯糸に木綿糸を用いた経三枚綾地の金襴・銀襴の総称。黄鈍・大緞とも書く。製作地・年代。 渡来とも明確でないが、 朝鮮産で桃山時代以後舶載したものではないかとされる。『古今名物類聚』には「黄純」とある。

大内桐金地金襴(おおうちきりかねじ きんらん)
名物裂の一。文様だけでなく,地場全面を金糸によって埋めたものを金地金襴と呼ぶ。 『古今名物類聚』所載。

大内桐金襴(おおうちきり きんらん)
名物裂の一。通常花色の朱子地に、桐の葉三枚の上に、桐の花を中央に七つ、左右に五つ配した、五七の桐の文様を織った金襴。周防山口(山口県)の戦国大名である大内義隆(おおうち よしたか:1507〜1551)が明に注文して織らせたものと伝えられる。

大内菱金襴(おおうちびし きんらん)
名物裂の一。赤茶地の入子菱の地紋に、金糸で牡丹あるいは牡丹唐草を織り出した金襴。周防山口(山口県)の戦国大名である大内氏の家紋を模様とし、大内義隆(おおうち よしたか:1507〜1551)の所持に因む名。中興名物「岩城文琳」や中興名物「三輪山」の仕服に用いられる。

大鶏頭金襴(おおけいとうきんらん)
名物裂の一。鶏頭の花のような作土紋を並べた金襴作土金襴の最も古い裂という。紋様の大小によって大鶏頭、中鶏頭、小鶏頭と呼び分けられる。大名物「円乗坊肩衝」、中興名物「在中庵肩衝」「橋立」の仕服として用いられる。

大坂蜀錦(おおさかしょくきん)
名物裂の一。『古今名物類聚』には「大坂蜀金 安楽庵」とある。花色地に、金地で織り出し、丸紋の中に水禽、魚紋を上紋としている。この手は朝日春慶「淀肩衝」の仕服として用いられる。蜀金は逢坂蜀金金襴の異名といわれ、本歌は日蓮上人の妙顕寺曼荼羅の表装裂とされている。紅と淡丁子、濃紅で縞を表し、その上に七宝風の丸紋を互の目に配した筋、斜め格子の筋、六弁の小花散らしの筋と無文縞の四つがそれぞれ異なった幅で縞割りを構成しそれが繰り返されている。他の金地金襴のように地文と上文の区別がなく、全面はほとんど金平糸で覆われた金襴である。大名物「利休物相」、名物「御裳濯川」の仕服に用いられる。

大谷緞子(おおたにどんす)
名物裂の一。濃い萌黄のビロード地に牡丹唐草紋と梵字の阿字を織り出した緞子。東本願寺伝来と伝えられる。

大友緞子(おおともどんす)
名物裂の一。焦茶地に、茶糸で菱を織り出した緞子。大友宗麟の所持に因む名という。

大友菱金襴(おおともびしきんらん)
名物裂の一。萌黄、縹などの地に金地の菱地合とし、金糸で木瓜の枠内に龍紋を織り出した金襴。銀襴もある。大友宗麟の所持に因む名という。『古錦綺譜』に「手本の裂は呉絽のようなり、模様菱のうちに花あり、この裂甚稀なり、又同地合萌黄地、模様油煙形の如くなる菱のうちに花あり、長さ八寸高さ四分計り、又紺地の物別して稀なり。世間に大友菱というは、地合安楽庵の手にて模様木瓜の内に這竜あり」とある。

大牡丹金襴(おおぼたん きんらん)
名物裂の一。『古今名物類聚』所載。

乙女金襴(おとめきんらん)
名物裂の一。白地に、金糸で雲と鳥の紋様を織り出した金襴。鳥の紋様が天女の姿に似ているところからの名という。

音羽緞子(おとわどんす)
名物裂の一。縹色の経三枚綾地に、白糸で入子三角と三角紋を交互にした鱗地紋と七宝紋を織り出した緞子。紋様が滝に桜紋、輪違に織入菱、円に宝を配したものなどがある。類裂に「難波緞子」「住吉緞子」がある。

織部緞子(おりべどんす)
名物裂の一。藍の五枚繻子地に、淡い黄茶で小さく渦巻く波に梅花が浮かぶ紋様を織り出した緞子。また茶地に薄茶で青海波地紋と梅花紋を織り出したものが最もよく知られ、大名物「松屋肩衝」の仕服に用いられる。古田織部所持に因む名という。

                           


 
 
 

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